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退行催眠による心理カウンセリング(心理療法)の必要性

幼い時に親に十分受け入れられて育った子供は、甘えの欲求を満たすことができて成長しますが、そうでなかった子供、特に、甘えを放棄するように仕向けられて育っていった子供は、自己のアイデンティティーが育たないので、自己の存在感が欠如して、自分の価値がわからなくなっています。
 自己不適格感を引きずり、大人になっても、無意識からの甘えの要求に苦しむようになります。
 そして、自分のなかの甘えの要求を悪いものとして排除(抑圧)してしまおうとして、生きている実感を失ってしまうようなことさえ起きるのです。
 こういった背景が原因となっている心の病を治していくためには、本当の自分を知る必要があります。幼児期の自己形成の実態を、客観的に把握する必要があります。そのためにも、自分が親に受け入れられなかったという現実を直視し、自分自身の心に形成されている内容を正しく把握することが必要なのです。
 子供時代の心理的抑圧によって、自分は十分に親に受け入れられたと勘違いしている人もいます。子供時代の親子関係で不満はなかったと、本気で思い込んで主張する人も多いのです。自分でそう思い込んでいるので、普通のカウンセリング的な会話では、幼いころの心理的実態に気づかせることはできません。
 相談者の無意識の扉を開き、そこに抑圧されている辛かった子供時代の心に触れるための、退行催眠による的確な心理カウンセリングが必要となるのです。
 子供は、親の期待に応えようという自覚がなくても、無意識のうちに親の期待を自分のなかに取り込み(内面化し)、自分が望んでいることだと錯覚するものです。親の期待を、自分が望んでいることと思い込んでしまう傾向があります。
 これも、親に自分が受け入れられ、甘えの要求を満たしたいという、無意識の誤った生存戦略ともいえるでしょう。
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相談者の中には、「子供時代に寂しいと思ったことはない」「親に対して何かを求めているようなことはまったくなかった」「何も不満を感じてはいなかった」「友達も多く楽しかった」と主張する人も多くいます。
 本人は本当にそういった気持ちで生きてきたと思い込んでいます。
 私たちの記憶というものはそんなもので、本当に苦痛を感じるような出未事は忘れ去られたり、抑圧されて思い出せなくなったり、歪んで内容か変わっていくものです。
 子供の時に「満たされなかったことはない。寂しくもなかった。つらいとも感じなかった」と思っていても、無意識の情動系にどういった感情の記録が刻まれているかを、引き出してみれば実態がわかります。
 退行催眠下での誘導により、当時の心の実態や本当に求めていた心の世界が明るみに出てきます。
 実際は、親に認めてもらうために「どう振る舞うべきか」「どういう反応が期待されているか」という、暗黙のプレッシャーがかかっていたかもしれません。
 たとえば、お母さんが兄弟に何らかの事情(病気で身体が弱い、障害があるなど)で、手がかかっているので、自分が我慢することでいい子としての評価を得ていたような場合など、自分がかまってもらえないことが辛く不満であっても、そう思ってはいけないと、我慢して育っことが多いのです。
 自分の家庭(親)よりも同級生のことが羨ましかったけれど、意識を向けないようにしていたかもしれないし、そういった心情を無意識に抑圧し、思い出せなくしているのかもしれないのです。それを見つめ解消しないと、トラウマによって作られた心の病は、根底から治すことはできないのです。
 トラウマの影響は、原因と結果という因果関係が正しく自覚(帰属)されていないことにより、別の原因だと思い込む(誤帰属にいたる)ことで、よりいっそう病状を悪化させてしまう結果を生みます。

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心の病の背景には、幼い頃からの母親や父親への満たされない切ない思いが、背後に潜んでいることが多いのです。これは子供心には意識にのぼらない精神的苦痛なのですが、こういった子供時代の精神的苦痛は時間の経過にともない、だんだんと意識化されない、自覚がない苦痛に変わります。よって苦痛であるがゆえに、意識されなくなった心が、生まれ持った気質的脆弱性と絡んだとき、心の病へと発展させ、症状を生じさせてしまうのです。
 当時は子供であるがゆえに、客観的に自覚されていない長期にわたる精神的ストレスが、脳の機能異常をつくりだすことで、心身に症状が起こります。
 こういったトラウマは身体的症状だけに限らず、人との関わりにおいても顕著な影響が出ます。それは、友人との関係や恋人との恋愛や夫婦間において出現し、苦しむようになります。
 たとえば恋愛において、互いの気持ちがかみ合わずに心に苦しみが生じだすと、自分でこう思えばいいと言い聞かせようとしても、思うようになりません。感情の動揺を、理性ではどうしてもなだめることができません。時間の経過を待つのがいいのですが、心を鎮めるためにあがいてしまい、不適切な行動をとってしまうものです。