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娘さんからのメール 熊本のTV局の番組に、23歳の娘さんから、母の心の病を催眠療法で治してほしいという依頼がありました。
「私は今回、母に催眠治療をしていただきたく応募しました。母はいま更年期障害とパニック障害とうつ病で悩んでいます。元々マイナス思考な人でしたが病気になってからというもの、更に拍車が掛ったかのように毎日つらい日々を送っています。今は何とか家事ができる状態ですが、精神安定剤などを沢山服用していないと起きていられないようです。気分転換にどこか旅行でも連れて行ってあげたいんですけど、パニック障害があるため、飛行機にも列車にも乗れません。また、睡眠障害があり、2・3時間しか眠れない日が続くこともあるようです。大げさに言うと生きる気力がなくなってきているような感じです。私は母に、これから先の人生をもっと楽しんでもらいたいし、いつも笑顔でいて欲しいと思います。催眠療法をすることで、何か母の中で変わってくれたらなと思っています。どうかよろしくお願いします。」

坂本和子(仮名)52歳 主婦

全国番組コンテスト出品作品 ドキュメント番組(約2時間)の内容で、パニック障害、不安障害、睡眠障害、うつ病がどのようなものであるか、そのメカニズムを説明します。

■坂本さんの発症に至る状況の詳細と考察
32歳の時の事件(出来事)が起きる1年以上前から夫の転勤で新たな知らない土地での生活が始まった。幼稚園に入る前の娘も以前住んでいた所の友達から引き離され、「・・ちゃんはどうしてるかな」「・・ちゃんに会いたいな」って寂しがり、「お友達が誰もいないから、引越し前のおうちに帰りたい」と訴えていた。娘のために焦るように同じ年頃の遊び友達を見つけるために奔走して、近所の人たちを含め交流の輪を広げていった。
そうしてまもなく娘も幼稚園に入った。しかし、娘と同じ年頃のお母さんたsakamoto.JPGちは地元で生まれ育ち、きょうだいや両親も近くに住んでいる人ばかりでお互いに親しい関係にあった。それで、その中に入るのが最初は抵抗があったしかなり気も使っていた。
転勤して新たに広がっていった人間関係の中で、娘のためにもよい関係を壊すまいという遠慮などが、自分の気持ちを抑えてしまいストレスを抱え込む自分に気付くようになった。親同士が仲良くしておかなければいけない。ギクシャクしてしまったら、子供同士の関係にも影響がでて、自分の子供が遊んでもらえなくなるのではないかと心配し必要以上に気を使っていた。
そういったストレスの中で夫にも相談できず独りで悩みを抱え込み苦しみながら頑張る日々が続いた。
夫も転勤して新しい職場に慣れるのと新たに立ち上げていく仕事に一生懸命で、土日も持ち帰った仕事に追われていた。土日も夫を労わり少しでも休ませるために、気を使い近くの公園にお弁当を持って子供を連れ出していた。
そういった生活を続け、辛いなと思うことも多かった。そうして数ヶ月経つうちに、夫は、過労からメニエール症候群にかかってしまった。
病気で体調の悪い夫に対して、子供のこと家のことは心配かけられないと思って頑張った。そうした中で誰にも心情を訴えられずに自分の中に辛さを抱え込んでしまう毎日だった。
当時、夫は仕事のことで精一杯だった。話せば聞いてくれただろうけど、夫に負担をかけたらいけないと思いながらも、友達や周りの人に本音を言うこともできないで思いつめている自分を分かって欲しかった。自分も疲れ果てていた。自分にも休みが欲しかった。それで夫に対し、休みのときぐらい子供の面倒を見てくれればいいのにと不満を持つようになった。そのころから時々、気分が沈んだり体調が悪いと感じ始めていた。
ちょうどそのころ、助言してくれる面倒見のいい友人が自分に代わって自分の精神的苦痛を夫に話してくれた。それを聞いた夫は、自分が仕事のことで精一杯だったことを反省し、「自分は確かに仕事から帰った後に疲れた表情や態度をとっているけど、これ以上疲れさせてはいけないと思い込まないで、何でも話しをしてくれていいんだよ。今までも話してくれれば聞くんだったのに、君はいつも相手の気持ちばかり考えて自分の気持ちを押し殺すから、僕には気を使わなくていいから、子育てのことも何でも言いたいことがあれば僕に言えばいい」といってくれた。
それでも夫が疲れていると不機嫌な感じが伝わってくるので、結局何にも言えなかった。今日までずっとそんな感じだった。
夫だけではなく誰であっても、相手の不機嫌な態度や感情的になっているのを見るのがとっても嫌だった。夫がせっかく優しく言ってくれても疲れていて不機嫌そうな態度に接すると、話をする勇気がでなくて何にも話せなくなる自分を情けない思いで責めていた。いくら夫がそういってくれてもできなかった。
自分の弱さや欠点を思い知らされながら、どうにもならない自分に一人苦しんでいた。そうして、孤独という状況の中で慢性的なストレスにさらされ続けた。
夫が「独りで抱えこまずになんでも自分に話していいよ」とやさしい言葉をかけてくれたが、そのことがかえって精神的苦痛を助長するようになった。
何故なら、ますます夫に対して助けを求めきらない自分、言いたいこともいえない自分に苦しむようになった。さらにひどい精神的孤独に陥った。sakamoto2.JPG

この後に32歳の事件が起こった。
その後、家事をしてても育児をしてても心ここにあらずという感じになった。
家の中に閉じこもって抑うつ気分で過ごすようになっていった。

一月ほど実家に帰っていると、その問題の人と会うこともないという安心感から、外にも出られるようになって気分も回復した。しかし、家に戻ったら、その問題の人に顔を合わせることを避けながらもそれがストレスになり、気分が深く落ち込みいままで経験したことがないような不安感が起きた。
ある日、夫が忘年会で家に帰らず泊まる予定になっていて、自分と子供たちだけになるという日があった。前の日からなんとなく不安だった。以前、夫がいなくて子供と3人のとき起こった不安感が強烈だったのであんなになったらどうしようっていう不安にかられていた。
仕事のお付き合いだから、主人にやめて欲しいとは言えなかった。そうしたら、主人が出かけた後に急に気分に変調をきたし、気が付いたら台所に立っていて包丁を持っていた。「死にたい」という気持ちが沸き起こりつつも、正気に戻っていく中で、ここで自分が死んでも、祖父母がまだ若いので子供たちを育ててくれるだろうという気持ちと、子供たちだけ残したら、事故や病気で死ぬのだったらまだしも、親が自殺したとなれば将来子供の心に傷を残すだろうと考えたり、葛藤が激しかった。ふと気づいたら横に娘がいた。娘に向かって「一緒に死んだらあなた達のことも気がかりじゃなくなるからお母さんは楽になれるよね」「あなた達だけ残して死に切れない、一緒に死のう」って語りかけていた。娘は驚き、親しくしていたお隣の家に駆け込んで泣きながら母の状況を伝えた。隣の奥さんが駆けつけてなだめてくれた。
夫の職場にも連絡してくれて忘年会を取り止め夫が帰ってきてくれた。
その事件は落ち着いたものの、その後、無意識のうちに死のうとしないだろうかという不安感が強く起こるようになった。しかし、「絶対に刃物をもって死ぬようなことはしない」と強く何度も自分にいい聞かせて過ごすうちに、台所に立つのが怖かったのに包丁を持ち料理もできるようになった。
しかしその後、一人で乗り物に乗ったとき、以前一人でいた時に経験した異様な感覚に襲われた。「ああまたあんな感覚に襲われたらどうしようか」と思ったら、いろんなことが蘇り、「自分が無意識のうちに周りの方に迷惑をかける様な行動をしてしまうのではないだろうか」とか、してはいないのにそういう不安に襲われて次の駅で降りてしまった。用事を済ませるという余裕もなく、状況を良く知っている親しくしている友人に連絡をして迎えに来てもらった。
この日を境にその後、乗り物に乗れなくなってしまった。

この最初に乗り物で症状が出た日の彼女を取りまく心理的ストレスを探ってみると、一緒に死のうと子供を自殺の道ずれにしようとしたことで、子供に精神的傷を与えてしまったことに相当な後悔があった。しかも、無意識に行動をしてしまっていた自分が怖かった。二度と無意識に変な行動をしてはならないという強いこだわりが、予期不安を強めていったことも事実。この予期不安が、乗り物に乗っているときに、以前の異様な感覚を蘇らせた。
しかしながら原因はそれだけではなく、もっと心底に深いストレスがあった。
彼女の心情として夫には申し訳ないという気持ちと、責めることもなく優しく接してくれる夫に感謝の気持ちは確かにあった。
もし、夫が自分を理解してくれずに責めたりする性格の人だったら、自分はもっと症状がひどくなり、この世にいないんじゃないかとも考えていた。「今自分が存在するのは夫のおかげなんだから、たとえ夫に対して不満があったとしても、夫には申し訳なくて何も言えない」という気持ちが前にも増して強くなっていた。
だがもう一方では、自分ひとりでいろんな苦痛やストレスを抱え込み耐えることを受け入れるしかないという状況と思いが、精神的に彼女をどんどん追い込んでいった。でも本当は夫に助けて欲しいという心の叫びがあった。こういった自分の性格からくる苦痛を夫が理解して手を差し伸べて欲しいのにという不満も無意識の中に広がっていた。それほど苦しかった。この孤独から夫に救い出して欲しかった。夫が「我慢しなくていいんだよ」といってくれても、自分にはできない。口だけではなく行動で関わって救って欲しかった。ある意味では夫や自分の将来に不満と絶望を感じていたといっても過言ではない。
しかし、そんな要求を自分から夫に出来ないことは重々わかっていた。
自分が甘えきれないのは素直じゃないからだと自分を責めてしまっていた。
こういった症状に苦しむのは、自分の生まれ持った性格が悪いからなんだと責めていた。気も弱いし、自分の性格がそういった症状を生み出してしまったんだと思っていた。自分はいつも何かあると機嫌が悪くなって、相手を嫌な気分にさせてるのに、夫や周りからそういった影響を自分が受けると耐えられない。
「どうしてそんなに家族なのに気を使うの」ってお友達から言われる。言われることは分かるのだけど、自然に心がそういう風になってしまう。
このまま生涯にわたって自分の性格は変われない。それは生まれ持ったものだから仕方がないと諦めて生活していた。
頭の中では言われていることが分かるのだけど、同じようなことが起こるとやっぱり同じように何にも言えない。相手に理不尽なことを言われても、相手の怒りを納めるために自分のほうが謝ってしまう。そして、冷静になってから、自分はそうじゃない、何で自分は意見をはっきり言えないんだろう。自分はいい年して弱くて情けないなと自分を責めていた。周りの人も「後でそう思うぐらいだったら、どうしてそのときそう言わないの」って、「自分が弱い弱い言っているけどそれは逃げなのよ。どうして強く言えないの。一回でも強く言えたら、相手の人も次からは言わないようになるのよ。あなたが相手をそう仕向けているのよ」って周りの人から言われ、よく分かるし、そのとおりだと思うけど、その方の前に立つと金縛りにあったみたいで、言葉も出ないし、正気ではいられない、血の気が引く感じになっていた。

誰もがそうだが、彼女は自分の知っている知識の中で自分が陥っている心理的な原因を探り間違った結論のまま乗り越えられないとあきらめていた。
このような心理状態と症状が出るのは、自分の経験したあのトラブルがトラウマとなって、自分を苦しめているんだと考えていた。
また、生まれ持った性格に問題があり、自己嫌悪に陥っていた。

同じようなトラブルに会ったら、誰もが同じように心の病に苦しむものか。
彼女の心が切り替えられないのは性格のせいなのか。本当に性格は生まれつきで変えることができないものか。
その様な疑問に結論を出す前に、彼女の人生を違う視点で考察してみよう。
そのために彼女の生育環境に目を向けてみることにする。
子供のころ、両親は互いの主張が強くぶつかり合っていた。
自分の意見を主張しあい日課みたいにぶつかり合っていた。いつも父は完ぺき主義なところがあって、理論立て筋道を立てて話す。でも母が聴くときもあればそれをうるさがって事細かいという風に、途中途中で自分の気持ち意見を主張していた。食事のときの会話が頻繁だった。和気藹々と笑いながらというときもあるが、結構お互いに言い合うことのほうが多かった。
父にしても母にしてもどちらも感情的になられることが嫌で耐えられなかった。
母に味方すると父が気分が悪いだろうな思い、父の味方をすると母が感情を害するだろうなと思ってどちらに見方していいかも分からなく、ただおどおどしてしまって感情的なものの言い方はしないで欲しいと心の中で訴え、治まるのを待って耐えているだけだった。
こういった感情的な両親の言い争いで、本当は母がかわいそうだと思っていた。幼児期ほとんど母と一緒にすごしていた。幼稚園のころ、母と別れたくなくて、おなかが痛いといってはよく帰ってきた。父も大好きではあったが、母を苦しめるのが嫌だった。父のせいで母が泣いているのを見るのがとてもつらかった。
こういった両親のいさかいは、物心が付く前から持続されていたことなので、彼女が意識している以上のトラウマとしての精神面の影響を受けている。
幼い故に親たちの喧嘩は内容よりも、母がつらい思いをすることだけが苦痛で避けたかったようだ。母を悲しめたくなかった。母と父との関係は自分ではどうしようもないから、せめて私だけは母に心配をかけないでいようと頑張った。
母を悲しませるようなことを言ったりしたらいけないと自分に言い聞かせ、いつもいい子でいようとした。そして、親に気を使うあまり、自分の要求ができなかった。しつけに絡むことで、親から強い口調でいわれると絶対に言い返さずに言うなりにしたがってきた。
そうして、「自分が誰かともめるのも、人がもめてるのを見るのもいや、感情的になられるのが耐えられない」性格が形成された。
遺伝的性格は、環境要因によって修飾され強化もしくは変性されるものである。
そういった、子供の時代に体験した出来事と現在の環境で起きた出来事による精神の世界は本質的には同じだと気づく。
人との関わり合いの中で、自然に沸き起こってくる感情とか性格的なものは、子供時代の環境の中で作られていった。それゆえ無意識の中で発生し、何故自分がこんな風に思ってしまうんだろう、何故避けようとしてしまうんだろう、何故苦しむんだろうと意識では分からないことが多い。
ではどうすれば改善できるのだろうか。s.jpg
これまで自分を責め、自分の生まれつきの性格ゆえに変えることができない、逃れることができないと嘆いていたことが、そうではなく生まれた後に形成された影響が大きく、そこから自分を解放・変革することができるのだということを理解することが必要です。
いままでは変わらないと思っていた性格が、じつは両親との関係の中で形成されていった性格なのだという事実を理解する。もちろん生まれつきの性格も関係するが、それは親がけんかしていたときにどのような心理的反応をしたかの違いは出る。脳が成長過程でどのように影響を受けてきたかを見つめ直すことも必要です。

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