感謝の便りⅠ―催眠療法 マインド・サイエンス

kansyaのコピー.jpg感謝の便り・・・・・・ LinkIconⅠページLinkIconⅡページLinkIconⅢページLinkIconⅣページLinkIconⅤページLinkIconⅥページLinkIconⅦページLinkIconⅧページLinkIconⅨページ

マインド・サイエンスで催眠療法を受けられた方々からの感謝のお手紙やハガキやメールをご紹介します。
催眠療法とは、人生を変えるのではなく、その人本来の有意義な生き方ができるように、軌道修正のお手伝いをすることだと思っています。

祝 結婚写真をクリックしたら拡大します。当時39歳の男性で、数度の電話での問い合わせの後に申し込まれました。
問い合わせ時においても、現状の精神的苦痛を訴えながら、何度も「本当に治って、この苦しみから抜け出せますか」としつこいほど繰り返し尋ねておられたのが印象に残っています。
申し込みをされて相談日の日程を決めましたが、その相談日が来るまでの間にも2度ほど電話があり、本当に治りたいんだということを訴えられていました。
私は当初、何度も繰り返される電話に、内心では不安を感じていました。
もしかして、強迫観念が強い方だったら、苦戦するかもしれない・・・・。そんなことを考えながら、相談日の初日を迎えたことを今でも覚えています。
彼は、地元沖縄で働いていたのですが、一つの部署が40人のグループで構成され作業をしていました。朝、出勤してまず休憩室に入るのですが、自分だけ独り新聞を読んでいるふりをしているとのことでした。もちろん実際に新聞を読んでいるわけではなく、周りの職場のみんなの動向を気にしているのです。でも、普通に話せないし、みんなの会話に入っていけない。また、何を話していいかわからない。だから、そんな自分を隠すために、新聞を読むことに忙しそうにしてみんなと距離を置きながら、違和感を持たれないように一生懸命だったといえます。
やっと一日の仕事が終わって家でくつろいでても、翌日のことが頭に浮かべば、その苦痛で頭が痛く夜も眠れないという毎日を過ごしていたのです。
彼には姉がいましたが、両親が働いていて、彼だけが父の祖父母に育てられたようです。
「子供時代も生まれつきの性格なのか、思っていることを口に出せなかった」と訴えられていました。「祖父母は今ではもう亡くなっているけど、健在中はなぜか、外で友達と遊ばせてくれなかった」といいます。
「おばあちゃんはとても厳しく、心を開けなかったし、学校の成績が悪いと結果だけ見て怒られていた」とのことでした。
祖母は、祖父の後妻で彼の父が15歳ぐらいの時に嫁いできて、子供はいなかったとのことでした。
小学校6年間はずっと学級委員をやっていて、中学に上がっても成績はずっと上の方だったといいます。しかし、中学の時は野球をしようと思ってもやらせてもらえなかったのが辛かったようです。
そうして、高校に入ったころにはもう同級生としゃべれなくなっていたとのことでした。話しする相手も作れず、友達がいないということで勉強に集中できず成績が落ちてしまい、2年浪人して、夜間の大学しか入れなかったと嘆いていました。高校3年間は、1年の初めからクラスに馴染めなく思い出したくもない3年間になっていたようです。
当時、「やればできると思ってはいても、現実に人付き合いが出来ないことが苦痛で勉強に集中できなかった。すごく後悔している。大学の間も友達が出来なかった。就職後も人付き合いできなかった」と語っておられました。
中学生までは、週末だけ母親は彼を家に連れて帰っていたようです。でもそれ以外の平日は、母はほぼ毎日自分に会いに来てくれてはいたが、顔を見て帰るだけで、会話を交わすことはなかったようです。「母親の顔を見ても、自分のことを話せなかったし、聞いてもくれなかった。今日はどうだったとか聞いてくれもしなかった」と言われていました。
「自分が落ち込んでいる時は見れば分かるのに、そんな時母は目をそらせていた。これがまた腹が立っていた」と語っていました。
彼は子供の時から、何でこんな親のもとに生まれたのだろうと苦しみ悩んでいたようです。
初回の催眠面接が終わり、一か月後の二回目に会った時、「前回終わってからは、しばらくは職場でのプレッシャーを感じなかったが、ここ10日ぐらい前から調子が悪く、人と話せなくなっていて、なんとなく違和感があり眠れなくなり眠り薬を飲んでいる。職場においても満たされない感じできつい。日曜日の夜DSC_0181.JPGから、明日から仕事だと考えると苦しくなり眠れなくなる」との報告でした。
「職場のことが浮かんできて楽しい気分になれない。話を少しするようになったが、仕事をしている時手伝ってくれる人も無く独りぼっちになっている。それを感じると胃が痛くなったり、頭が痛くなったりしている。人に自分のことを言いたくても表現できない」と最初数回は一進一退でこういった状態の繰り返しでしたが、20時間が終わる頃になると、すっかり職場のみんなの中に溶け込めるようになっていかれたのです。職場の昼休みに、みんながやっているトランプ遊びに加わることができたことも感動の一つだったようです。
何よりも自分に自信が持てずに引っ込み思案だった、頭の中に思っていることを口に出せないのが辛いと苦しんでいた彼が、彼女を作り結婚をしたとの年賀状には驚きました。
そして、心から、これまでの分を取り戻すぐらいに、末永く幸せになってくださいと祈りました。